Newton 2023年8月号
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宇宙とはなにか、の特集で最後に触れられてた話が面白かった。「宇宙はなぜあるのか?」という問いに、科学は答えられないらしい、というか、科学は「なぜ」に答えるのをやめて発達したという。仮に、「宇宙はxxだからあるんですよ」と答えがでたとき、そのまま問いは「なぜxxなのか」に置き換わり、なぜは永遠にわからない。科学は「なぜ」には答えずに「どのように」だけを追及しているという話。宇宙はどのようにあるのか。確かに、科学は数多の方程式とか原理を教えてくれるが、なぜそうなっているのかというのは聞いたことがない。なんでゼロで割り算をしちゃいけないのかというと、ダメだからダメ、で、大学の数学でも多少やった気もするけど、自分の理解は「ダメだからダメ」の域を出ていないし。
どうやってこの先過ごしていくのかちゃんと考えるようになった気がして、自分は科学っていう宗教(?)を信仰したいな、科学みたいなやつを心の拠り所にして過ごしていきたいな、なんかそれが一番ラクそうだし自分にはしっくりくる気がするなっていう感覚を、なんとなく持ち始めていたのかも。 上のように、自分は無宗教、強いて言うなら科学という宗教を信仰しているという意識があった。それは、この世界のことを説明する数多の言説、キリスト教とか仏教とか、そういうのと比べて科学の説明はなんか良いっていう考えがあったからなんだけど、それは間違いだったのかもな、と。科学を「世界の色んな解釈のうちの一つ」みたいなことを思っていて、それ故に宗教と並列っぽい考え方があったけど、科学はどこまでいっても「なぜ」には答えを持たない。いっぽうで、数多くの宗教はむしろ「どのように」に対する答えはハチャメチャだったりするけど「なぜ」にはバシッと答えを持っていそうだ。宗教のこと1ミリも知らないのであんまりなんか言うのは避けたほうが良さそうだが、そういう偏見(?)がある。だから、科学と宗教は対立したり背反、排他ではなくて、補完しあうものなのかもなと思った。科学となんらかの宗教を両方信じてる人は強そう。 それはそれとして、「なぜ」には答えないという科学を、やっぱりそういう態度はある意味真摯だし、好感が増した。確かに、あらゆるものごとの「なぜ」はどうでもいいことかもしれない。「なんで良いと思った?」「良いと思ったから良いと思った」で良い。
意識の話も面白かった。「意識がある状態」を定義するのはなかなか難しいので、「意識がない状態ではない」状態を意識がある状態とする、という定義とか。気候の話も。植物の写真も大迫力。ニュートン最高!
面白い、本の中身もきになるはるひ.icon